身近な人が死ぬということ

親族のその人とは、小さな頃から親密な交流があって、

成人してからもお世話になっていた。

 

しかし、ここ数年は会っておらず、

そしてその人は亡くなった。

 

最近は会っていないせいか、

その一報をもらっても、実感がわかない。

まだどこかにいるようだ。

 

悲しい、といえば悲しい。

なにか、大切なものを失ったような喪失感、といえば喪失感。

現実感がまだないだけなのだろうか。

 

なんか、

その人の世話をしてきた人よりも悲しんだり、泣いたりしてもいいものなのだろうか。

モヤモヤしていたり。

もちろん、偽善だけと、

生きていたその人に、なにかしてやれたことはなかったのだろうか、とか思ったり。

 

 

その人とは別の人で

もっと前になくなった親族がいる。

簡単に言えば、この人とは仲が悪く、、

会えなくなったところで、なにも不自由はないと思っていた。

それが10年以上経ってから、認識が変わっている事に気づいた。

 

会わないことで(会えないことで)、負の感情が風化したともいえるのだけれど、

もうちょっと生きてて欲しかったなぁと思えた。

実際、生き続けていたらそう思えたかと問われれば、

自信はない。

ただ、もしかしたら、当時よりもゆるせた、、かもしれない程度だ。

 

 

このたび、身近なその人が亡くなって

自分の感情はとりあえず、そのままにしておいて。

だれかにぶつけることなく、胸のうちに秘めておいて。

感情がなんとなく複雑の時は、ぶつけられた人も対応に困ってしまうと思うし。

 

まずは

その人が亡くなったことで苦しんでいる人がいたら、そばにいようと思う。