すっかり、星野源が好きになっちゃってる件 [アルバム:Stranger]

友人に星野源のアルバムを借り、聞き込む日々。

 

まだちゃんとひとつひとつ体に染み込んでないけど、

今好きな曲は、、

 

「夢の外へ」

自分ひとりの世界を空想しがちで、その他大勢の世界が嫌いな人へ。

私はその空想と現実の真ん中を行く。

あなたはどうする?

その空想世界を現実世界で作ったら、この世(現実)がいいものになるんじゃない?

 

という解釈しました。

空想世界で生きがちな自分に刺さるものです。

現実もいいのかも?と希望を少し持ちました。

 

「化物」

客席から多くの拍手をもらっている、

成功している舞台人でも

家に帰れば、

一人お風呂で孤独を感じたり、

消化しきれない思いをぶちまけてしまいそうになる。

でも、いつか舞台上でなりたい自分に化けられる気がする。

だから今は

何度でも舞台に上がれる。

 

という解釈しました。

某グループを夢中で追いかけていたとき、

その一人が、コンサートを終えて一人家に帰って

洗濯をするときに(風呂掃除だったかな)

本当にさっきまで自分はコンサートをしていたんだろうか、、?

というギャップが凄い。

という話を思い出します。(この曲のメインメッセージとはちょっと違います)

舞台というのはお客さんからの反応を直で見られる絶好の場所。

罵声も無関心も歓声も体に受けられる場所。

だから、私生活とのギャップが凄いんだろうなーと思いました。

 

舞台人の俳優さんにとってはどんなに歓声を受けても

決して満たされない場所ではあるんだけど、何度でも立つ場所なんだろうな。

そこでしか満たされない何かがあるから。

 

 「知らない」

大切な人が自分から離れていった。

夜になっても大切な人との大切な何かがまだ見える。

絶望的だけど朝はやってくる。

決定的な別れの言葉は、今はまだ受け入れられないけれど、

いつか受け入れられるときを信じている。

 

という解釈しました。

この曲は以前にアルバムを借りる前に

おすすめだから!と友人にシングル曲を借りていた(いつも借りてばかり)

題名を見たときは、、お?もしや、、と、好きな曲の予感はしていた。

次に曲をさらーと聴いたときは、あ、好きな曲だ。と確信していた。

改めて歌詞も見たらやはり好きだった。

(結果、大好きな曲ということ)

 

失恋の曲が好物のため、(この曲は恋愛とは限らないけど、、別れという意味で)

私のセンサーに引っかかったのだと思う。

物静かで、つらくて、でも前向きでというこの曲は

私のカラオケのナンバーに確実に入ってくると思う(上から目線)

それに歌っていて、気持ちがいいと思う。

ほどよく大きな声が出せるし。

 

問題は、知っている人がその場にいるのかどうか、

知らなくても受け入れてくれる曲(キレイだけど暗い歌曲調)かどうかということだけ。

身近な人が死ぬということ

親族のその人とは、小さな頃から親密な交流があって、

成人してからもお世話になっていた。

 

しかし、ここ数年は会っておらず、

そしてその人は亡くなった。

 

最近は会っていないせいか、

その一報をもらっても、実感がわかない。

まだどこかにいるようだ。

 

悲しい、といえば悲しい。

なにか、大切なものを失ったような喪失感、といえば喪失感。

現実感がまだないだけなのだろうか。

 

なんか、

その人の世話をしてきた人よりも悲しんだり、泣いたりしてもいいものなのだろうか。

モヤモヤしていたり。

もちろん、偽善だけと、

生きていたその人に、なにかしてやれたことはなかったのだろうか、とか思ったり。

 

 

その人とは別の人で

もっと前になくなった親族がいる。

簡単に言えば、この人とは仲が悪く、、

会えなくなったところで、なにも不自由はないと思っていた。

それが10年以上経ってから、認識が変わっている事に気づいた。

 

会わないことで(会えないことで)、負の感情が風化したともいえるのだけれど、

もうちょっと生きてて欲しかったなぁと思えた。

実際、生き続けていたらそう思えたかと問われれば、

自信はない。

ただ、もしかしたら、当時よりもゆるせた、、かもしれない程度だ。

 

 

このたび、身近なその人が亡くなって

自分の感情はとりあえず、そのままにしておいて。

だれかにぶつけることなく、胸のうちに秘めておいて。

感情がなんとなく複雑の時は、ぶつけられた人も対応に困ってしまうと思うし。

 

まずは

その人が亡くなったことで苦しんでいる人がいたら、そばにいようと思う。

おんな城主直虎 (第34回 隠し港の龍雲丸)

直虎がまさか正気を失うとは思ってもいませんでした。

彼女にとっての政次がどれだけ大きなものかをあらわしています。。

 

南渓がそばにいて&政次が生きている前提で付き合ってくれてよかった。

ナイス龍雲丸のアドバイス

隠し里にいったところで、、

この姿はのちのち直虎にとってやさしくするだけっていうのも

良くなかったかもしれないし。

 

井伊谷三人衆の鈴木が辞世の句を持ってこなかったら(荒療治)

もっと正気を失ったままだったのかも。

・・・それはそれで幸せだったんだろうけどね。

 

 

堀川城の惨劇はドラマよりも史実の方が惨いようです。

住民の半数以上が亡くなったよう。

武家が国を治めるということは、

住民を恐怖の下で、素直に従わせるにはこういうもんなんだと

ドラマが教えてくれた。

 

そして、まさかの直虎の夢オチ。

人(政次)を殺したという罪に関連して

龍雲丸を刺し殺すという、、、夢を見ていました。

 

びっくりしたわ。

現実の話かと思いきや、まさかの夢オチなんですもん。

卑怯だわ。

 

政次を思い出させるシーンが多いのも卑怯。

ついつい泣きそうになっちゃったし。

 

 

直虎が朝目覚めて、後姿だけ映ったとき

一瞬、なつかと思った。

私の妄想では、政次が死んだことで悲しみすぎて自害するのかと動揺しちゃった。

ドラマは戦国時代。

武将が死ぬことは当たり前といえば当たり前だし。息子もいるし。

そんなわけなかった。

ちょっと、ではなく

なつにかなり肩入れしすぎている事がよくわかりました。

おんな城主 直虎 第30~33回 ここで言いたいだけ  つづきの終わり

[復活の火]

 

政次が井伊谷の城主となり、

直虎が一人の尼となり、

直虎は政次と相談のうえ、徳川側に書状を送った。

協力する代わりに、井伊家を復活し、家臣に加わるというもの。

家康の隣には母を今川家に嫁がされた小野家が嫌いな瀬名がいた、、

ここはちょっと政次のXdayの伏線あるのかな?と思ったのだけれど特になし。

直虎の政次への城主扱い。政次の直虎への家臣扱い。

幼馴染ゆえの仲良しさ、心許している感が出ていてよかった。

 

政次は、この回でなつに夫婦になる約束をする。

直虎への憧れや恋心、恋を超えた絶対的な信頼関係。

それとは全く異なる安らぎや居心地の良さ、献身的な愛、それを手離したくない、、とをなつに伝えた。

 

ちょっぴりむくれた感じを出していたなつだったが、

そのような義兄の政次を好きだからこそ、受け入れた。

 

大人ってすげぇっす。

ただ愛しているだけじゃなく、いろんな感情を受け入れていく様がすごい。

大人の静かに燃える愛が素敵です。

 

なつさんに対してネットではちょっぴし批判的な声もあったけど、

どーーーーーーーーーーー考えても、政次となつはお似合いです。

器の大きさがなつは大きい。

その大きさが政次を等身大の男に戻してくれるんですね。

 

嬉しかったです。

 

見せかけの城主であることを宣言したとき

政次の家臣が「とうに存じておりましたよ」と笑顔でいってくれたとき

あぁ政次、、報われたなぁと涙。

いい家臣に恵まれていたんだなと。 

 

今川の犬として振舞い、欺いてきた政次。

そうするしか生きるしかすべがなかったから。

自分の家臣にももちろんそうだった。

自分のために働いてくれていたからこそ、

多分、どこかでは申し訳なさとかあったんだと思う。

 

家臣側もそれを知っていて、騙されているふりをして黙っていてくれた。

 

いい家臣だな。政次の人望あってのことだけれど。

 

 

[嫌われ政次の一生]

 

 

前回、書いたので補足程度に。

 

家康演じる阿部サダヲさん

緊迫する井伊谷で直虎と初めて対面したとき

井伊谷三人衆を疑ってはいたが、時間がなくて対応できないことに謝罪の気持ちを表すため、(口では言わなかったけど)

なんであんな体勢の謝り方したんだろうか??!!

笑いを狙っているとしか考えられない。。

そして、もちろん笑いました。

 

なつと政次の心温まるシーンがありました。

なつの膝枕で

昔、先代の当主直親にしてやられた話をしたり、

お祭りの話をしたり、、

政次が自らすすんで処刑されに行く決心をしたあとの行動。

ふたりの最後の思い出を作りたかったんだろうと思う。

政次のためにも、

もしかしたらなつのためにも。

 

牢に入れられた政次と龍雲丸との掛け合いもよかったですね。

もうこのときには本音でぶつかり合える腹心の友、、というべきでしょうか。

龍雲丸は武士ではなけれど、直虎の事を裏切らないと信じられる同僚、、かな。

政次は龍雲丸を直虎任せられる一人だと確信していました。

見ていてつらかった。

信じている人を失うのは龍雲丸だってつらいですよね。

でも、それが本懐なのだとわかったのでなにもしなかった。。

男ですね。

 

政次の磔の刑は本懐なのだと、説得する龍雲丸と納得できない直虎。

直虎にとって政次はもはや

自分の体の一部という改めて象徴する場面ではあったのだけれど

このやりとりは今思えば、視聴者側を納得させるための場面だったのかも。

見ていてつらかった。

 

井伊家当主、城主として、政次をあきらめました。

そして、翌朝、例の行動に出るんですね。

 

 

この一ヶ月の大河ドラマは思い出したらキリがありません。

でも、ここまでは吐き出しておきたかったです。

政次がいない大河ドラマを受け止めるためにも。

読んでいただきありがとうございました。

 

 

おわり

おんな城主 直虎 第30~33回 ここで言いたいだけ

[潰されざる者]

 

この回は前半はわりと平和だった。

井伊谷の直虎は今川側からとくに処分されてないし、本人もなんとか乗り切ったと安心していた。

政次と考えた上、徳川と内通するくらいだった。

 

しかし、氏真は直虎に徳政令を出させるよう

部下の関口に命令し、、、という内容だった。

 

あらかじめ井伊家取り潰しを知っていた方久を追い詰める

政次と龍雲丸がちょっとコメディタッチで面白かった。

最初は敵対心むき出していた二人だったけど、

気賀で城を作ったあたりから

立場は違えど、直虎を支えるという共通の意識をお互いに持っていることを

口には出さないけれど、知っていたので(追い詰めたときには、より確信したのでは)

仲間、という空気感が素敵だなと思いました。

 

以前は、龍雲丸に嫉妬したほどの政次でしたけど

(直虎が龍雲丸に好意を持っていたため「くだらんぞ但馬」でネットでは盛り上がりました)

そこは思い切り乗り越え済み。

なつさんがいたからかな。

 

最後に徳政令を受け入れると見せて、最終的に直虎に城主に戻すため

あえて今川側に直虎に刀を向ける政次。

「俺を信じろ。信じろおとわ。」

 

ここでセリフで震えた30代女性は多いと思います。(偏見込み)

ここで、まさかの幼名のおとわ呼びかよ!ズルイよ。

 

私のなかで、永久保存しておきました。

 

 

[虎松の首]

 

政次と直虎は別々に行動することになってしまい、

相談は出来なくなってしまったが、

方向性だけは決まっていたので

政次が用意していた虎松の偽首にも臆することなく、

関口の前で直虎は虎松のものとして扱い、泣いて、経を読んだ。

 

前回の予告編で

「案ずるな、地獄へは俺が行く」

とずぶぬれになった政次が言っていたのを見たとき、

え、、、なにがどうした、、、???!!!パニック!!

なにをしでかすんだ!政次!逃亡か?!井伊谷の誰か殺したのか?!

直虎になにか言ってるのか?!!

という状態になっていたのですが、

結果、偽首を用意するときに子供を殺めたときの描写だったんですね。

政次の部下に言ったセリフでした。

覚悟して、殺めたのだけれど、、暗い空気を纏っていました。

 

そして、偽首に泣いて経を読んだ直虎もせつなくて美しくて残酷でした。

 

 

つづく

おんな城主 直虎 第30~33回(潰されざる者、虎松の首、復活の火、嫌われ政次の一生)

怒涛の1ヶ月だった。

 

なにをしても、ふわふわふわふわしてしまった。

 

30回からは、政次のXdayを直視せざるを得なかったから。

 

直虎と政次は一心同体であった。

でも、それは公には出来ない身分であった。

 

政令で、直虎は城主ではなくなってしまった。

ただ、今川の家臣を欺くために、

直虎が城主から一旦退くことで、腹心の政次が城主となり、

虎松の首を差し出し(実際には、虎松の代わりに別の病気の子供の首)

あらかじめ徳川側に寝返っておいて

最終的に直虎が城主に返り咲く策略だったのだが。。

 

今川側が衰退し、徳川側には近藤がいた。

近藤は井伊谷を手に入れるため

(過去には直虎が顔見知りの盗賊によって木を採られていたり、その盗賊を直虎に逃がされたり、仏像がなくなったと因縁つけたら仏像が直虎の前で見つかってしまったりで機会を窺っていた)

罠を張った。

 

・・・見事、罠にはまった直虎と政次。

 

そして政次は自分の命を引き換えに

自分の愛する、井伊谷井伊谷の人々、そして直虎を守った。

 

磔にされた政次は、直虎に刺されたのだ。

 

尼の直虎が人を殺めることは許されないこと。

政次も虎松の首であると騙すために少年を殺めていた。

 

ふたりは公には出来ない仲であったので、

最後はお互いに悪態をつきながら、地獄にお互い行くことを思っていた

(ような気がする) 

 

 

この数日間、

柔らかな日差しを見れば

「こういう明るいなかで、政次と直虎は囲碁を指したかったろうな」とか

楽しそうなファミリー層を見れば

「政次はなつと亥之助の三人でゆっくり過ごしたかったろうな」とか

現実と妄想の狭間で生活しております。

 

こんな生活してていいんだろうか、、と思いつつ

しばらくしたら、普段の生活に戻ると確信しています。

次回の直虎には政次がいない。

そのときを耐えられるかちょっぴり心配。

トーキングフルーツ(ゲスト:松本幸四郎) と ひよっこ

松本幸四郎さん、私が始めてあの方を認識したときからその名前でした。

 

来年、3代襲名披露をするにあたって

お孫さん、息子さん、ご本人と一緒に挨拶をされるんですね。。

 

幸四郎さんのお父様は前回の3代襲名披露の数ヵ月後に亡くなられたそうです。

そのお父様は襲名披露の(うろ覚えですが)3ヶ月前に手術をされたそうです。

麻酔が効かない箇所を手術したそうで、痛かったのではないかと問うたら、

「どこからを痛いというのかわからん」と、言っていたそう。

赤穂浪士のように、

痛みや、忍耐ばかりの役者を送ってきたお父様らしい発言だと思ったそう。

 

そのほか、

親孝行はやりたい!と心から思ったときにやるべきで、

親が生きているうちにやらなきゃいけないというものではない。

本人たちが生きている間でも、墓前でも親孝行をして構わない。

とか

襲名は襲命である

名前を引き継ぐのではなく、命を継ぐこと

やってきたことを繋いでいくこと。

とか

歌舞伎は芸術ではない、歌舞伎役者は職人だ

とか

東日本大震災の被害に遭われた仮設住宅に住む人から、立派な秋刀魚を贈られた話では

こういう方々に少しでも心を和らげて、癒して差し上げなければいけないのに、、

と涙しながら食べて、これが役者の仕事なんだと改めて思った

とか

金言ばかりで、、覚えているのが大変でした。

 

心に残る実況中継ベスト2とか

昔の話はビンテージであるとか、、まぁ置いといて。

心にしみる番組でした。

 

本日のひよっこ

涙なしでは観れない回でした。

結婚している立場から、独身の立場から観ると

違う景色が見れたと思います。

美代子(木村佳乃)からは、家族としてまっとうな発言をしていた。

世津子(菅野美穂)からは、間違っていたことを謝罪し、実を追い払った。

二人の胸中は発言とはちょっぴし違っている事もあって。

 

美代子は、世津子の美しさ、上品な暮らしを目の当たりにし、

貧しい身なりを恥じていた。

また、結婚指輪もしていなくなっていたし、夫の実(沢村一樹)のことは過去の人になりかかっていた。

(あくまでも)妻という強い立場から、とうとうと話す様は観ているこちらも辛かった。

そういう立場で世津子に話していなければ、

記憶をなくした実にとって自分の価値が成り立たなくなるという恐怖があったから。

 

世津子は助けてあげた実を、雨の日に出会ったことから、

雨男と呼び

駄目なことだとわかっていながら、警察にも無理やり連れて行かせず、

ずっとそばにいさせた。

家に帰ってくることが初めて嬉しいと感じさせてくれた実を、

心から愛していた。

(その世津子も美代子に対して家族がいないコンプレックスが見え隠れする)

その感情は、谷田部家族にはもちろん関係ないことだとわかっていたので、

実の荷物はあらかじめまとめておき、

すぐに出て行くよう実に告げる。

 

世津子の別れ際が潔くて美しかった。

日本人的だなと思いました。

 

これから、ひよっこどうなるのだろうか。。

実が世津子のところに戻ったら、、朝ドラの革命だと思うし。

実が美代子のところに居続けられるなら、みんな大人だなと思うし。